田中正造
亡国ニ至ルヲシラザレバ之レ即チ亡国ノ儀ニ付質問書 右成規ニヨリ提出候也明治三十三年二月十七日 提出者 田中正造 賛成者 石原半右衛門 外三十四名一 民ヲ殺スハ国家ヲ殺スナリ 法ヲ蔑ニスルハ国家ヲ蔑スルナリ 皆自ラ国ヲ毀ツナリ 財用濫リ民ヲ殺シ法ヲ乱…
民ヲ殺スハ国家ヲ殺スナリ 法ヲ蔑ニスルハ国家ヲ蔑スルナリ 皆自ラ国ヲ毀ツナリ 財用ヲ濫リ民ヲ殺シ法ヲ乱シテ而シテ亡ビザルノ国ナシ、 之ヲ奈何 亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問 「田中正造全集第八巻、岩波書店」より抜粋 昨日も申上げ…
■ 大阪府警機動隊員―チンピラ― ■ 贋物の政治家―民を蔑ろにする政治家― 大阪府警機動隊員を擁護する発言 (沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設現場で、抗議活動中の市民に機動隊員が「ぼけ、土人が」と叫んだことについて)これを人権問題だと捉えるのは、言…
木下尚江集、筑摩書房より抜粋する。 君よ。 僕が聴いて欲しいのは、直訴後の田中正造翁だ。直訴後の翁を語らうとすれば、直訴当日の記憶が、さながら目に浮かぶ。 明治三十四年十二月十日。この日、僕が毎日新聞の編輯室に居ると、一人の若い記者が顔色を変…
福島第一の爆発により福島県の東半分は生物の生息に適さない荒野になった。この状況は、明治に起きた足尾鉱毒事件に酷似している。 明治政府は殖産興業を重視し被害民の訴えを黙殺した。政治活動に絶望した田中正造は衆議院議員を辞しその3ヶ月後に天皇に直…
生前の田中正造は、のたれ死に死ぬことを覚悟していた。むしろ理想にしていた。これが議会をすて、谷中村にはいったことからの――さらに遡って政治に発心したときからの、当然の帰結であった。津久居彦七に田中正造はこう語ったことがある。 おれは、はじめて…
【田中正造語録】 ○いかなる人にても、野に裸体のまま風雨にさらさば真面目となる。此の時の一瞬間、神に救わるるなり。又悪魔にさらわるるなり。石をパンにせよとはこの時にあり。人はパンのみにて生きるものにあらずと答えしはこの時なり。 ○予は下野の百…
大正2年8月2日[ノート用紙] ○八月二日より大字並木小学校内ニて安蘓足利治水細流枝川の保護会の必用を説く。校長大いによみす。 ○悪魔を退くる力なきものゝ行為の半ばハ其身モ亦悪魔なれバなり。已ニ業ニ其身悪魔の行為ありて悪魔を退けんハ難シ。茲ニ於てざ…
翁は山川視察の途次、大正二年八月三日、下野国足利郡吾妻村字下羽田なる庭田清四郎と云へる農家で、遂に病床の人となった。 君よ、言ひたい事は河の如く際限無いが、一切を棄てゝ直にその日を語る。 九月四日、清朗な初秋の朝空、僕は翁の顔をのぞき込んで…
■ 亡国ニ至ルヲシラザレバ之レ即チ亡国ノ儀ニ付質問書 明治33年2月17日 右成規ニヨリ提出候也 明治三十三年二月十七日 提出者 田中正造 賛成者 石原半右衛門 外三十四名 一 民ヲ殺スハ国家ヲ殺スナリ 法ヲ蔑ロニスルハ国家ヲ蔑ロスルナリ 皆自ラ国ヲ毀ツナリ…
最後の議会 ******* 質問の理由に関し演説要求 明治34年3月25日 ○田中正造君(二百三十九番) 私ハ緊急ニ、一ツ御願申シタイコトガゴザイマス、此今日ノ答弁書ヲ表向ニ御披露ガゴザイマセヌカラ、アチラノ書記ノ室ヘ往ッテ見マシテ、農商務省ノ答弁書ヲ二三…
謹奏 草莽ノ微臣田中正造誠恐誠惶頓首頓首謹ミテ奏ス 伏シテ惟ルニ臣田間ノ匹夫敢テ規ヲ踰エ法ヲ犯シテ 鳳駕ニ近前スル其罪実ニ万死ニ当レリ 而モ甘ンジテ之ヲ為ス所以ノモノハ洵ニ家国民生ノ為ニ図リテ 一片ノ耿々竟ニ忍ブ能ハザルモノアレバナリ 伏シテ望…
******* 翁の没後、僕は直訴状の本物を見たいと思った。幸徳の書いた上へ翁が筆を入れた本物を見たいと思った。 何処にか存在するに相違ないと、窃に心当たりを尋ねて居ると、それが一度田中家の幼女になったことのある、翁の実の姪に当る原田武子さんが持っ…
******* 直訴に就いては、僕は恰も知らないやうな顔をして過ぎて居たが、十年を経て幸徳も既に世に居なくなった後、或時、僕は始めて翁に「直訴状」の事を問うて見た。 それは、幸徳の筆として世上に流布された直訴状の文章が、大分壊れて居て、幸徳が頗る気…
******* 明治三十四年十二月十日。 この日、僕が毎日新聞の編輯室に居ると、一人の若い記者が顔色を変えて飛び込んで来た。 『今、田中正造が日比谷で直訴をした』 居合わせた人々から、異口同音に質問が突発した。 『田中はドゥした』 『田中は無事だ。多勢…
田中正造は、三十八歳のとき政治に発心した。 それは身も心も財産も、すべてをなげうって 人民に奉仕することの決意であった。 そして足尾鉱毒事件と出会う。 衆議院議員としての十年間にわたる戦いののち、 その不毛を見定めると、彼は弊履を 棄てるように…